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改めて思う「福祉住環境」

ながらくブログをアップしていなかった。
といううか、ブログの存在自体が私の頭から消去されていたといっても過言では無かったのです。

実は、この4月から「ワクワク」・「ドキドキ」するような事業が複数進みつつあるのです。
53才引退説など、どこ吹く風かとばかりに。(笑)

しかも・・・・・・


豊中まつりも間近に迫って参りまして・・・・・・


まあ、どんな事業なのかは、おいおいブログでアップして行くとしまして

実は数日前に、狭心症と思われる症状でぶっ倒れた訳なのです。
いや、本当に死ぬかなと思ってしまいまして

そんなこんなで、「自分にとっての一義的なものとは何か?」
なんてことを考えたりしてしまったのです。
となると、やっぱり福祉住環境と言われる世界かなと・・・・

本当に、ここ10年ほどの間に
「福祉住環境」といった言葉があちらこちらで聞かれるようになって
本当に大昔から関わってきた私にとっては、とてもとても違和感があるのです。

そもそも「福祉」とは
公的配慮によって社会の成員が等しく受けることのできる安定した生活環境。(デジタル大辞泉)
であり、生活上なんらかの支援や介助を必要とする人、経済的困窮者・ホームレスなどに対し、生活の質を維持・向上させるためのサービスを社会的に提供すること、あるいはそのための制度や設備を整備することが「社会福祉」たる意味であるとされている。

しかし「福祉住環境」で表現される「福祉」とは
「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味すると強く思う訳で、あらゆる全ての人の生き方の質を向上させる、まさしくQOLをの向上に他ならないと、私は確信しているのです。

あちらこちらで。QOLやらICFやらと叫ばれてはおりますが

現場では、なんのなんの
まだまだ・・・・・・・・・

特に、一番の疑問は
疾病や事故で何らかの障害を持ちました
そのマイナス部分を補うことで、なんとか以前の生活を取り戻すといった、ICIDH的な考えが福祉住環境の世界には多く残っているのです。
障害の部分だけを見た福祉住環境ではマイナス10がマイナス3にはなれてもプラスには絶対なれないわけで、そこにはこれからの人生の中で「しあわせ」や「ゆたかさ」を求めることが出来ない状況をつくりだしているに他ならないと思うのです。

すなわち「福祉住環境」では無いのです。

もちろんマイナス3で「しあわせ」や「ゆたかさ」を感じる方も沢山いるでしょう。
しかし、福祉住環境のプロフェッショナルとして関わる以上は、そこで価値観をシンクロさせるのは「逃げ」だと思うんですよね。


確かにその部分は0にはなれずとも、他の部分でプラス要素を向上させることで全体でみれば障害を持つ前の時よりも「しあわせ」や「ゆたかさ」が向上する。これこそが「福祉住環境」の持つ最大の意味だのです。そこに、空間とか、インテリアとか、光とか、カラーとか、素材とか・・・・建築士としての力量が発揮できるのです。(もちろん、それだけでも無いのですが)

それって、「ICF」の考え方。
福祉の世界では当たり前。

そう言ってのける方もおられるかもしれませんが

理論先行でその理論は現場では、まだまだ咀嚼されていないことを理解すると共に
人間の本質的なものが、プラスでなくマイナスに目をむけてしまい、そこに「大変やなぁ〜」という感情がはいる。そうなれば、なかなかプラス要素の話がしづらい事も十二分に理解しつつ考えていかねばならないと、強く思うのです。



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