SSブログ

子どものわがままと、「生」への覚悟を決めた人間がやろうとしていること [福祉住環境]

最近、本業の話しをあまり書いていなかったのだが、決して仕事をしていなかったわけでは無い。
「ターミナル住改」の相談が最近は多い
悪性腫瘍、ALS等々の病気の為に、後の人生を自分らしく生きたい。
その為の住環境整備の相談である。

末期の方もいらっしゃるし、まだまだ元気な方もいらっしゃる。
相談のタイミングは、自らの病気を受容されたタイミングでの相談がほとんどである。

だから、伺った時には決して「死」ではなく、「生」に対しての覚悟というか、人間としてのすごさというか、そんなことを感じる時が多い。
自分が、この人の「生」に対して、どれだけの事が出来るのかを考えると、いつも無力感さえ感じてやまない。
今日、伺った相談者もそうであった。
自分の生きるべき道を可能とするために奥さん共々、真剣に現状の心身状況の中での可能性を探っておられた。その中でハードに関してのプロフェッショナルとしてのアドバイスや提案を求められた。

必死である。。。。。私が。。。。。。。。

そのプラスのオーラーをまともに受けた私自身、やる気もみなぎる。

しかし、何をはき違えているのか、他専門職。
あれはだめ、これはだめ。
あげく、「そんなわがまま言ってたら、みんなそっぽ向くよ」

子どものわがままと、「生」への覚悟を決めた人間がやろうとしていることの区別すらつかない。
医療の専門職であれば、その専門性の中からのリスクを提言するのはよくわかるが。
その専門職は「福祉」の分野である。
一般によくある福祉のことなら何でも相談にのります的、半公的機関の人間である。

あ〜あ、嘆かわしい!!!!!

確かに、一般論としては正論なのかもしれないが
対象者の覚悟の指標からは、正論は違うところにあるということ
これだけは、自分自身、忘れたくはないとつくづく思った。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。