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正論は、相手をとことんまで苦しめてしまうことがある。 [福祉住環境]

「正論」とは、正しいと思われる論ということである。
その論の正誤の指標は道徳、倫理、政策など、公共的な要素をもつものが多い。

であれば、少数意見や個人的意見は正論ではないのだろうか?

そうではない。
もちろん法を犯すなどという極端な事例はともかくとして
正誤の指標軸をどこに置くかによって、当然に正誤の判定は変わってくるのである。

これを勘違いして、一般的な指標での正論を個別案件の中で言ってしまうことがある。
「私は、そんなことは無い。きちんと、相手の立場を考えて意見をいっている。」
と言われる人が大変に多い。(私を含めて)

この正論は、一般論に近く、相手にとって、非常に辛く、厳しいものになる。
よく言われる
「芳村さん、それがいいのは解っているんですが・・・・・・・・・」

ましてや、自分の指標で相手の立場を考えて、そして自分の指標で正論を作っているケースなどは、相手をとことんまで苦しめてしまうことがある。

ようするに、正論では問題は解決しないということを自分なりに(特に、福祉住環境の世界では)覚悟して相談にのらなければならない。というのが、私の持論である。

いかに、相手の指標を掴むのか。

これが、コミュニケーション術であると考えている。
もちろん、その指標がそれこそ一般論からいえばおかしいといった時もある。
しかし、指標を掴んでるからこそ、おかしいと気づき、相手と話しもできるのである。

要するに、相手の生き方を尊重することが、もっとも大事であり。
それには、価値観を掴む必要があると言うことである。

いや〜、まだまだ出来ていないなぁ〜

と改めて、考えさせられる。

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