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沖縄へ出張です。(まずは、腹割って話すこと) [まつり]

明日から、沖縄へ出張です。

 わたし自身は、豊中まつりに係わる前から、沖縄市と豊中市が兄弟都市であることが由縁でJCの現役の時にJC同士も姉妹JCを締結したころからの関わりで、結構、同年代の友人も多く、まつりで本格的に行き来するようになってからは、本当に色々な立場や年代の方とのおつき合いさせていただいています。

 今回の出張の目的は、市民レベルでの交流を本格的に自立した形で継続していくための相談であり、今後の豊中まつりを担っていこうとしているNPOの重要な事業柱ともなる打ち合わせです。

 市民間、行政間、JC間と少しづつ違った形での交流を大きなベクトルで同じ方向をむこうというのが考えで、今までの形を一本化するとかといった大それた事ではなく、情報交換をしつつ新しい交流の手法の提案と実践、そして既存の交流に対しては、当然ながら今までの手法を尊重させていただきながら、お手伝い出来ることがあればといったことから初めてみようと考えています。

沖縄市民と豊中市民の交流の原動力に「豊中まつり」がもっと、力を発揮出来ればとの想いです。

ピースフルラブロックフェスティバルやエイサー等々で今まで、多くの文化的な支援をいただき「豊中まつり」のベース的なものを作り上げることができました。そして、そこから形を変えて豊中独自のものが生まれようとしています。

その間、我々は何を返せたのか?

そう考えると・・・・・



それを考えるには、まずは懐に飛び込み、腹を割って話すこと。
その第一歩を豊中の仲間達と行って参ります。

沖縄市の皆さん、いつもいつも、歓待をしていただき心から感謝してやまみません。
今回もよろしく(笑)

(以下、沖縄市と豊中市の経緯)
昭和39年(1964年)にコザ市(のちの沖縄市)から、豊中の沖縄戦の戦没者の遺族にと、霊石と仏葬華(ハイビスカス)が届けられたことからつき合いがはじまり、そのきっかけは当時の豊中市長が、沖縄を訪問した際に、コザ市(のちの沖縄市)の市長と懇談したことであったそうです。
昭和40年から、当時アメリカ軍の統治下にあった沖縄では、日本復帰にむけて日本の行政事情が分かりにくく、コザ市職員が豊中に研修に訪れました。(「豊中学校」と呼ばれていた。)
そのような経緯で昭和49年(1974年)11月3日、沖縄市誕生市民祭典の場で、「兄弟都市宣言」に調印され、現在も様々な交流を持っています。
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