SSブログ

「気をゆるす」ことと「気を使う」こと

しかし・・・・・・
ちょっとばかり、愚痴らせていただきます。

何故故に
「気をゆるす」ことと「気を使う」ことの違いがわからない輩が多いのだ。。。。。。

私には、親友と呼べる人間は一人だけいる。
彼には、気をゆるしている。
しかし、他の友達以上に気も使う。
そして・・・・・・打算は皆無。

気を使うから、真剣に相手のことを考える。
気をゆるしているから、本音で話ができる。

これが当たり前であろうと思うのです。
そして、双方にその思いがあれば、信頼関係が構築され、こころ穏やかな環境が作れるわけである。

ようするに
これが「思いやり」

大切な存在であるが故に気を使うことになんの違和感も覚えない。
そして気をゆるしているから、共生できる。
妻にも、家族にも同じである。

それが親友やから気を使いたくない、家族にまで気を使いたくない。
なんてことを平気で言う
だから離婚も多いし、本当の親友も出来ない。

年末に久しぶりに里帰りをしてきた子供が

「折角帰ってきたんだから、家のこと手伝うよ。」
「いやいや、折角やからゆっくりしとき。」

どっちが後先でなく、この会話が大事なのである。

「おもてなしの心」も同じだと思う訳です。

やってもらったから、やる。

絶対にそうでは無いと言い切る!!

来ていただいてありがとう。

こっちである!!!

同じ時間を共有するのであれば、こころの底から
相手のことを考えて接することが大事なのである。
ようするに、気使いの問題である。

それが、自分の都合や価値観だけで。。。
まさしく「あしらう」といった場面に出くわす。(いや、出くわした。)

組織であれ、個人であれ。
互いの事をおもいやる気持ちが無いと、信頼関係はうまれない。

目の前の客人の水割り一杯作れない輩に「おもてなしの心」は感じない。
会場までのアクセスを気にも出来ない輩に「おもいやり」は感じない。
しかも、それが「仕事」でありながら。

まあ、すごく間接的に書いているので
多分、これを万が一読んだとしても、私が誰のことを考えているのかは当の本人はわかるよしもないでしょうが。(笑)

最後に、関係ないかもしれませんが。
特別な理由無く、子供を空港のANAラウンジなんかに連れて入っている親、グリーンに座らせている親、カウンターの鮨屋につれてきている親。
こういった、人にも私は「思いやり」や「おもてなしの心」は感じないんですがね

言い過ぎですか。。。。。。。(爆)
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。