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当たり前に「感謝」と「認知症」 [福祉住環境]

酔っぱらって家に帰る。
部屋に服を脱ぎ散らかして、バタンキューと寝る。
次の朝、慌てて起きて、シャワーをかかり仕事へ行く。

夜に家に帰り、部屋へ入ると綺麗になっている。
そして、次の日には脱ぎ散らかしたものがきちんと収納の中に・・・・・・。

この当たり前に「感 謝」

学生時代、勉強をしていて、珈琲が飲みたくなる。
「珈琲、いれてくれへん。」
5分後には、いれたての珈琲が机に運ばれる。

この当たり前に「感 謝」

親やから、当たり前や。
女房やから、当たり前や。
夫やから、当たり前や。
子供やから、当たり前や。

でも、その「当たり前」に時間を費やしてくれている。
だから「感 謝」を忘れてはいけないと強く思う。
決して、「感 謝」されようと思って、やってくれているのでは無いことは明確である。
しかし、人間は誰しも「感 謝」を表現されると、俄然モチベーションが上がる。

介護という世界。

なかなか、この「感 謝」を表現されることが少ない。
心で強く感じていても・・・・・・・・。

特に、最近の「認知症」の問題を考えると。
「感謝」とは正反対の反応が帰ってくることがある。

「わかっちゃいるけど・・・・・・・。」

ここ1〜2年、「認知症」の方の住環境整備の相談数が非常に増えてきた。
たいていの場合、「認知症」だけではなく他の障害等も抱えている。
私は「認知症」に関しては、住環境整備のプロとして果たせる役割はそう多くは無いと考えている。

しかし、「本人の尊厳保持、介護者の心身共の負担軽減」この大きなポイントに関しては、多くはなくても住環境整備が無ければ、なし得ないといった場面に多く出くわす。

わたし自身、認知症者の在宅で介護をする当事者でもある。
だから、セラピスト的な役割の時は、いつも「自分」にも言い聞かせている。

そうなんだよな、仕事としては理解出来るんだけど。
子供としては、「甘え」が出てしまって辛い。

でも、その「甘え」を理解は出来ても、肯定することはしてはいけないと考えている。
なぜならば、プロフェッショナルとして係わっているのだから。
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