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Think back to豊中まつり(Episode2) [まつり]

第3回の豊中まつりを終え、2000年の豊中まつりへと向けてのスタートが切られたのは、1999年の11月。この年に、私自身は40歳となり青年会議所を卒業した。
まつりネット豊中という団体を作り、青年会議所の現役のメンバーや豊中市民を交えての実行委員長として最初の挑戦の年でもあった。
青年会議所としても、今までのように担当委員会の所属メンバーが関わるというのではなく、市民として関わり、そのバックボーンが青年会議所であるという形で進めた。
これを青年会議所的には市民への移管と言うそうだが、私自身は、そもそも青年会議所が主催している事業では無いのだから今一ピンとはこない。
誰もが、豊中まつりに興味を持てば、個人でも、どこの団体に所属していようと、市民として主体的に関われる受け皿を作ったに過ぎなかった。
現在のNPO法人ラブとよネットの原型が出来た年でもあった。

そして、豊中まつり2000において来場者が10万人を超えることになる。

実は、自分のキャパを超えるイベントとなり、内心「えらいことになってしまった。」と感じていた。
ここから、今まではコンテンツに重きを置きながら自分自身動いてきたのだが、今では口を開くと言葉にする
「安心・安全」を第一義的に考えるようになり、コンテンツ部分は各部会の皆さんにお任せをするという考え方に変えた。
この年から、まつり終わりに感じることが、「感動」から徐々に「安堵」へと変化していくのである。
以降、第5回(2001年) 18万3千人、第6回(2002年) 27万1千人、第7回(2003年) 21万5千人と巨大なイベントとして成長していくことになる。

そして2012年、豊中まつりを中心に「I LOVE TOYONAKA」な市民を増やそうとの思いでNPO法人ラブとよネットが設立され、豊中市とパートナーシップ協定を結び豊中まつりの運営をNPOが担う体制が出来上がった。
市民主体型のまつりを目指し豊中まつりを見直してから、15年目の年であった。

2009年からは、会場を豊島公園での単独開催としたために、昨年までの来場者数は15万人前後となっているが、人口密度的には複数場所での開催をしていたときよりは増していると感じている。
2日間、昼から夜まで様々なテーマでステージが有り、アルコールも振る舞う・・・・・
やんちゃな若者もやってくる・・・・
大きな事故や事件が起きないのは奇跡的なことだと思う。
(小さな事は、起こっていますが・・・・)

会場を回っていて思うことがある。
来場者も出店者も出演者も運営側の人間も本当に楽しんでいるなと
そして、みんな豊中まつりという場で再会し、出会い、集まり・・・・・
豊中で縁とゆかりを作ろうとした35年前、多分こんな場は無かったような(私が知らなかっただけかもしれませんが。)
みんなが豊中まつりを愛し、豊中のまちを愛しているような気がする。
そう、これこそが安心・安全のベースなのだと思う。

そんな場作りに20年以上も関わらせて頂いたことに感謝しか無いと強く思うのである。

そんな豊中まつりに対しての想いを次回は書き連ねたい。


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