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「I Love Toyonaka」への強き想い [まつり]


これまでの豊中まつりで、たくさんの人と人との「であい」「ふれあい」「つながり」によって育まれてきた「I Love Toyonaka」という言葉には、この15年間の様々な想いが詰まっている。

今まで、本当に多くの人達が「豊中まつり」を愛してくれるようになった。

愛することは、優しさや互いの思いやれる気持ち、時には厳しさ、その厳しさを受け入れることの出来る謙虚さ等々を育んでいき、そのことが、愛する対象に対しての責任をも自覚することが出来る。
だから、運営側・来場者・出店者等にかかわらず皆が、それぞれのステージでこの「豊中まつり」を共に創り上げようとする。

ここ数年、そんな愛する気持ちが「豊中まつり」の枠を超え、豊中市に広がっていく可能性を感じる。
そう、このまちには無限の可能性が見えてきだしたのかもしれない。

自分の暮らしている「まち」(我がまち)を愛していますか?
そう問いかけられた時に胸をはって「愛しています。」と言い切れる、そんな豊中市民の強き心。

それが「I Love Toyonaka」という言葉には詰まっている。

簡単な言葉であるが、軽い言葉ではない。
「I Love Toyonaka」への強き想いこそが、15年間で創り上げてきたものなのかもしれない。



そして・・・・・東日本大震災がおこった今年・・・・・。

開催を決めるに当たって
この「I Love Toyonaka」を「I Love Japan」へと広げ、長い時間を要する復興への道を面で支援していく第一歩としようとの決意を皆で確認しあった。

そして、このまつりで創り上げた 大きな、大きな元気玉を東日本へつなぐ!!
「つなげ、元気のバトン」

これが、豊中まつり運営スタッフ全員の想いである。



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豊中まつりへ 後21日 [まつり]

今年もいよいよ。。。。。。。やってきました。

「豊中まつり」が
この季節になると、まったく仕事が止まる。
もう例年のことなので、今、芳村に仕事をいっても無理であるとの考えが回りに出来上がってもいる。

市民主体でリニューアルされて、15年目。

いつのまにか、900人を超えるボランティアがかかわり、15万人もの来場者があるまつりとなった。

特に、今年は復興支援への第一歩という意味がある。
これから先、長い道のりとなる東日本大震災の被災された皆さんの復興へ被災経験のある豊中市民が中心となって開催するこの「豊中まつり」が出来ることは、微力ではあるかもしれないが、沢山あると考えている。

考えに考え抜いて開催を決めた。

様々な意見はあるであろうが、実行委員会や私に迷いは無い。
めい一杯、胸はってやりきるだけである。

また今年から、豊中の魅力をやはり交通アクセスがよく、人・文化・物等々が集まってくるといった特徴を活かして発信していきたいと考えてもいる。
市の75周年や就航都市とのネットワークづくりの動きともシンクロしながら創っていきたい。

いや〜、まつりも益々パワーアップである。

そう言えば、リニューアルの一回目は、確か・・・・37才だった。
ということは、当然、今年は52才。

私もまつりに負けることなく。


更なる、パワーを蓄えていくとしよう。
(ご迷惑をおかけする人もいるかも知れませんが(笑))

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「天国からのエール」 [まつり]

沖縄報告でもアップしましたが、中曽根 陽さんの実話。「天国からのエール」が10月1日に全国ロードショウされます。
皆さんにどうしても観ていただきたく、再度アップさせていただきます。

ストーリーは、沖縄で小さな弁当屋を営む中曽根さんが、弁当を買いにくる高校生たちがバンドの練習をする場所がないことを知り、店のガレージを借金をしてスタジオに改装しました。
 「挨拶をすること」「赤点を取らないこと」「人の痛みがわかる人間になること」を条件に無料でスタジオを貸し出し、そこから多くの高校生バンドがプロとして巣立つまさにそのとき、仲宗根さんは志半ばで病に倒れます。自らの余命を知りながらも懸命に若者を信じ愛し続けた仲宗根さんと、彼から"生きること""夢を追いかけること"を教えられる若者たちの姿が映画化されています。

私達、「豊中まつり」スタッフ全員が中曽根さんには大変お世話になっており。
予算の無い中でステレオポニーを筆頭に多くのアーティストを豊中の地へと送りだしてもくれました。
一昨年の夏、沖縄ピースフルラブ・ロックフェスティバルの会場で中曽根さんにお会いしたのが最後でしたが、本当に熱く生き抜かれた生き様に私自身も大いなる影響をうけました。

ぜひ、映画館へ足をお運び下さい。



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沖縄に行って来ました。 [まつり]

今年も沖縄市へ豊中まつりの関連の調整、沖縄市長や沖縄市市議会議長への表敬訪問、そしてそして沖縄ピースフルラブ・ロックフェスティバルへ昨年の豊中まつりのグランプリバンド「YULO(ユーロ)」を出演させるために行ってきた。
まずは、初日の昼一番に那覇空港に着き、軽く昼食をすませた後に沖縄市役所へ表敬訪問。
毎年、沖縄市市長とお会いするのだがすごく気さくに歓待していただく。その後議長への挨拶を済ませて、沖縄タイムズや琉球新報の取材を済まし、沖縄市の観光協会へ。ここの事務局長をはじめとしたスタッフの面々とは、結構、ディープなおつき合いもさせて頂いているので、ほとんど友達状態でワイワイと今後の両市の交流も含めて打ち合わせをさせて頂いた。

一旦、これまた沖縄の定宿である「ディゴホテル」へチェックインし、交流会を済ませて「YULO(ユーロ)」の事前ライブへと出かけた。
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そして、そこからディープな沖縄の夜が・・・・・・

翌日はピースフル本番ということで、会場へ。
今年はメジャーなバンドが出演するために早くから、結構な人の数であった。
「YULO(ユーロ)」は3番目のバンドとして登場。
大阪から来ているメンバーも汗だくになって縦ノリで応援。

なかなか、うけた。(実感)

一旦、ビーチパティーをしていただけるということで会場を後にし再び、6時に会場入り。

そこからは、D-51、オレンジレンジと続き
最後はHYであった。

いや〜、毎年ながら歳を忘れてノリノリの時間を過ごした。

そして、10時から打ち上げ。
二次会はライブハウス、これがまたディープな店で
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その後、なんとHYのボーカルとツーショット。
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その後はまたまた、超ディープな沖縄の夜・・・・・・・

そんな時間を過ごして
昨日に大阪に戻った。

今回の沖縄では、もう一つの大きな収穫があった。

それは、
豊中まつりが本当にお世話になった「あじさい音楽村」の故中曽根陽さんの実話をもとにした
「天国からのエール」http://yell-movie.com/index.htmlが10月1日から阿部 寛主演で全国ロードショウが始まる。

その細かな情報を教えてもらうことが出来、当然ながら豊中まつりを中心として豊中市でも全面的に告知・PRをしていきたいと考え、その承諾も得ることが出来た。

是非とも、皆さんも劇場へ足を運んで下さい。
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いや〜、それにしても。




今日は朝からいきなり、現実だ!!!!!(笑)
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今年も豊中まつりが近づいてきた。 [まつり]

さあ、あっという間に「豊中まつり2011」まで一ヶ月と少し(36日)になった。
来週には、沖縄市へピースフルラブ・ロックフェスティバルへ昨年の豊中まつりのグランプリバンドの派遣へ同行する。
毎年、この週からがまさしく「まつりウィーク」とあいなる。

昨年のまつりの後、すぐに9月に今年へむけての動きが始まった。
年末の「サンタ夢宅配便」
3月の「豊中まつりプレイベントin千里中央」
を開催し、そして今年の4月から月に数回のペースで会議を重ねている。

いやー、本当にまつりに関わって頂いている皆さんに心から感謝をしたい。

そして、今年は「つなげ元気のバトン!」を合い言葉に震災の復興支援をまつりの様々なところで展開する。
義援金を集めることも当然なのだが、豊中市にこられている被災地の皆さんをご招待したり、被災地の商工会の方々にブースをだしていただいたり。
そして、まつり全体でいくばくかでも資金が残れば全額を義援金へとも考えている。

皆さん、ぜひとも今年もまつりにおいでになって下さい。

今年の豊中まつりは 8月6日・7日です。

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沖縄へ出張です。(まずは、腹割って話すこと) [まつり]

明日から、沖縄へ出張です。

 わたし自身は、豊中まつりに係わる前から、沖縄市と豊中市が兄弟都市であることが由縁でJCの現役の時にJC同士も姉妹JCを締結したころからの関わりで、結構、同年代の友人も多く、まつりで本格的に行き来するようになってからは、本当に色々な立場や年代の方とのおつき合いさせていただいています。

 今回の出張の目的は、市民レベルでの交流を本格的に自立した形で継続していくための相談であり、今後の豊中まつりを担っていこうとしているNPOの重要な事業柱ともなる打ち合わせです。

 市民間、行政間、JC間と少しづつ違った形での交流を大きなベクトルで同じ方向をむこうというのが考えで、今までの形を一本化するとかといった大それた事ではなく、情報交換をしつつ新しい交流の手法の提案と実践、そして既存の交流に対しては、当然ながら今までの手法を尊重させていただきながら、お手伝い出来ることがあればといったことから初めてみようと考えています。

沖縄市民と豊中市民の交流の原動力に「豊中まつり」がもっと、力を発揮出来ればとの想いです。

ピースフルラブロックフェスティバルやエイサー等々で今まで、多くの文化的な支援をいただき「豊中まつり」のベース的なものを作り上げることができました。そして、そこから形を変えて豊中独自のものが生まれようとしています。

その間、我々は何を返せたのか?

そう考えると・・・・・



それを考えるには、まずは懐に飛び込み、腹を割って話すこと。
その第一歩を豊中の仲間達と行って参ります。

沖縄市の皆さん、いつもいつも、歓待をしていただき心から感謝してやまみません。
今回もよろしく(笑)

(以下、沖縄市と豊中市の経緯)
昭和39年(1964年)にコザ市(のちの沖縄市)から、豊中の沖縄戦の戦没者の遺族にと、霊石と仏葬華(ハイビスカス)が届けられたことからつき合いがはじまり、そのきっかけは当時の豊中市長が、沖縄を訪問した際に、コザ市(のちの沖縄市)の市長と懇談したことであったそうです。
昭和40年から、当時アメリカ軍の統治下にあった沖縄では、日本復帰にむけて日本の行政事情が分かりにくく、コザ市職員が豊中に研修に訪れました。(「豊中学校」と呼ばれていた。)
そのような経緯で昭和49年(1974年)11月3日、沖縄市誕生市民祭典の場で、「兄弟都市宣言」に調印され、現在も様々な交流を持っています。
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19日のイベントを終えて。 [まつり]

先週末19日に豊中市の千里中央で私とものNPO法人ゆにばっぷ並びに豊中まつり、福祉住環境ネットワーク会議の3つの同時開催イベントが終了した。
東日本大震災を受けて、非常に開催の是非をも含んだ話し合いが持たれた末に開催を決定しイベントでもあった。

「開催して、よかった。」

当然、様々な価値観があることを否定しているわけではない。
わたし自身も、当初は開催に消極的でもあった。

しかし、参加されたほとんどの人が単なるイベントに終わらせることなく、本当に自分たちの想い、今できること等々を発信できたと実感している。
また、そういったものにしていこうとの事前の話し合いの内容が本当に、浸透していたとも感じた。

もちろん、今は集まった義捐金を送ることぐらいしか出来ないのだろうけど・・・・・

今後、この日に育むことが出来た小さな支援の芽は、粛々と育ち。

そして、いまから険しく長い復興への道の継続的な支援へと成長していくことと想う。
それが人間の力なのである。と、本当に改めて確信した。


そして、そして、そして・・・・


今、強く想う!!!!


他人がそう思うか、どう受け取るか。
それも大事な指標なのかもしれない。

しかし、そんなことだけで物事を決めてしまう視点しか持ち合わせていないのは寂しすぎる。

他人から評価されるために自分たちは動いているわけではない。

自分たちが、考え、悩み、そして強い想いでアクションをお越し、発信する。
その過程が必要であり、大事なことである。

もちろん間違っていることもある。

その時は潔く、詫びる。

そして、その結果。
成果があがり、評価もされる。

私は、いつまでもそう生きていきたいと、今回のイベントを通して感じた。

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しかし、開催を決めた。 [まつり]

今週末、NPO・ネットワーク会議・豊中まつりと自分の関連しているところのイベントが合同で行われる。この時期、一番考えたのは「豊中まつりプレイベント」である。

やめる理由や意義は数多くある。
中止しその経費を義捐金へ、そしてプレを開催する人的パワーでさらなる義捐金を集める。等々

しかし、やる理由が自分には、やはり見つからなかった。

市民の集まっている市民事務局のメンバーの意見を確認。

そして、決めた。

開催する。



阪神大震災で被災地の経験をした私たちのまちだからこそ。




開催する。

多くの人が、テレビ等での情報を聞き、見て心を痛めている。
何とかせねば・・・・・・

今できること、経験値をもとに考える。

気持ちは、直ぐにでも毛布・おしめ・水・・・・・等々の報道されているものを届けたい。
一緒に、安否の解らない人を捜したい。

でも、現実は義捐金であろう。

であるならば、人が集まるイベントをやめる手は無い。
ここで、みんさんに呼びかけよう。

そして、それだけで終わることなく。

そこからのスタートにしよう。


そう、考えた。




賛否両論であろう。



しかし、開催を決めた。
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「豊中まつり2010」終了と共に思うこと。 [まつり]

8月7日・8日、「豊中まつり2010」が終了した。
わたし自身は、当日の1週間前からの準備と次の日の後片づけを入れると、10日間ほど「まつり」のことしか頭になかった為に、終了と同時に放心状態となり、ようやく本日から通常を取り戻すことが出来つつある。

両日とも天候にも恵まれて、本当に沢山の皆さんにご来場いただけて、15万人を越える笑顔に出会えた。また、ボランティアスタッフ約1,000人の素晴らしい動きにも、関わった全員が、本当にまつりに対しての「愛」(Love)を強く持ち合わせていると感じ、「豊中まつり」の目指すところがはっきりと見えてきた。
皆さん、「ありがとう!!!」
それと、問題なく「めっちゃ、楽しかった!!」

ただ、運営面では、新たなる課題や反省点も多いまつりでもあった。

「豊中まつり」に関わりだして14年が過ぎ去った。
実行委員長としても10回を越え、年齢も50歳を越えた。

新たなる10年のためのあゆみが始まった今
10年後の自分をシミュレーションすると、そこには今以上にまつりに対してのモチベーションを積み上げている精神的のも体力的にもタフな自分はいない。

とすれば、まつりの方向性と共に、世代交代の必要性を強く感じている。

その為に必要なこと組織、人材・・・・・・・沢山ある。
多分、今のままの組織体制や規模等々を考えた時、次ぎの担い手は、なかなかいない。

それを自らのモチベーションや体力が継続している時に当該年度mp「まつり」を作ることと同時進行で行っていくこと。

それが、来年へ向けての自分の大きなテーマである。

世代交代を考えることは、少々寂しくもあるが
ある意味、私も「子ども離れ」ならぬ「豊中まつり離れ」を考えなければ、逆に「豊中まつり」の成長を止めてしまう要因になりかねないのではと考える今日この頃である。






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「豊中まつり」ウィークの開始だ!!!! [まつり]

さあ、豊中まつり2010のボランティア説明会だ。
いわば、決起集会的な要素もあるので身が引き締まる。

そして、毎年ここから一週間

仕事は、そっちのけの「まつりウィーク」が開始される。

今年は、天気の心配は無さそうである。
気合い入れて行ってみますか!!!!!!

皆さん、ここからの一週間は豊中まつりのHPも日替わりメニューになります。
また、当日の二日間はライブツイッターで現場の状況もお伝えしていきます。
携帯サイトも出来ていますので、ぜひ皆さん、チェックお願いします。

では、行って参ります。
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