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「スキ見せる」ことの重要性 [日常]

リーダーシップには「スキを見せる」これだ大事だと。

しかし、これが難しい。

かなりの自信がなければ「スキだらけ」となってしまいリーダーシップは欠落してしまう。
若い頃は、「スキを見せないように」と必死なってもがき
リーダーたるもの完璧でなければならない。
と、何でもかんでも出来る人であるといった虚空のスーパーマンを演じていた。

これでは、たかがしれている。

自らのキャパ以上のものは成立するどころか
その域にすら達することなく
「お前らは・・・・・・。」と
結局、人のせいにしてしまう自分が多分に存在した。

そして、自滅・・・・・・・・・

何歳くらいからであろうか?
「スキ見せる」ことの重要性に気づいたのは
人間同士だからこそ通じ合うことが出来る

完璧だと思っていた先輩の
ちょっとした人間くささに出会った時、「ほっと」する自分に気づいた。
そして、とても近しい存在に思え
共に目標を達成するには、自分の力も必要であると強く認識した。

それ以来
出来るはずも無い、完璧な人間を演ずることはやめた。

「ふとした瞬間に見せる隙」
「心を許せる人にだけ見せる隙」

これが、互いの信頼関係をきづき
確たる、絆を創造する。

ただ「スキを見せる」とつけ込まれる。
こう考えがち・・・・・
もちろん見せてはいけない場面も有るわけで・・・・・
この使い分けが、まだ私には出来ないのである。

周りの人間に言わせれば
「酔っているときは、スキしかありませんよ。(笑)」

ハイはい、分かっています。

「ハイは一回。」(笑)

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あんたの提案なんか、聞きたくもありませんは!!!! [日常]

あえて書かせてもらいたい。

私達のNPO法人と高齢者の法務関連の相談を主として活動しているNPO法人とのジョイント企画で豊中市の豊中千里文化センター「コラボ」で国交省の住宅改修補助金とエンディングノートの相談会を実施することになっている。

その関連でチラシを作成して配布しているのだが・・・・

本日、その豊中千里文化センター「コラボ」の女性職員から事務局に電話があった。
「豊中市の在住の方ではないのですが、この相談会に行きたいという問い合わせなのですが大丈夫でしょうか?」
というもの
「はい、大丈夫ですよ。」
と答え、本来ならそれで終わりのはずが・・・・・・

「私共は部屋を貸しているだけですから、こういった問い合わせは困るのです。もっと、はっきりと問い合わせ先を書いてチラシを配布していただかないと困ります。」

そのちらしA4の大きさで下部に1/4位のスペースで下記の記述があるんですよ。
**相談会チラシ(20120616) PDF.jpg

久しぶりに、ちょっとキレてしまいました。
(とはいっても、大人ですから怒鳴り散らしたりはいたしておりませんが(笑))

百歩譲って、わかりにくかったとしてもですよ。
「部屋を貸しているだけですから・・・」
のくだりは本末転倒もいいとこ!!!!!!!
万に一つでも、それだけが職務のミッションなんであれば(そんなことはありえませんが。)
よけいに、借りている方はお客さんでしょ。

ましてや公務員さんは、サービス業でしょう。
もちろん施設運営も大事な仕事
そこで開催されることに関しての質問や問い合わせには、ちゃんと答えるのが仕事。
「主催では無いから詳細はわからないので、ここに問い合わせて下さい。」でもいいわけですよ。

今回なんか、一歩進んで問い合わせをしてきているのだから・・・・・
どうも、問い合わせすること自体が納得できていないので「八つ当たり」の様相を呈している。

市民の皆さんは、問い合わせ先が書いてあっても、公共的なところに聞くことの方が安心なんですよ。
そんなことも分かっちゃいないのかと・・・・

豊中千里文化センターで市民向けに必要だと思われる相談会を開催する。
当然、非営利活動ですは。

大きくくくれば、豊中千里文化センターさんの存在する意義やミッションと同じはずです。
であれば、
そこまでは無理なのかもしれませんが
「簡単な内容だけでも教えといていただければ・・・・。」程度の話があってもおかしくないと。

しかし、私的には沢山の市役所の方々と関わらせていただいていますが
本当に、そのほとんどが一生懸命やっておられる。
それが、市民や公益活動団体との直接の接点を持つ人間がこれでは・・・・・・・・。

あ〜あ、やってられない。

最後の捨て台詞が
「こうしたほうがとの、提案ですから。」

あんたの提案なんか、聞きたくもありませんは!!!!






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とても、親バカであります。 [日常]

8番のジャージが躍動していた。

3才の頃からだから、もうかれこれ19年間。
息子のラグビーを応援し続けてきた。

小学校の頃は、ズーッと8番
試合が終わると、いつも彼のジャージだけが真っ黒になっていた。

中学校の3年になって、センターになり、大阪の選抜のキャプテン。

高校時代は単身で大分に渡り
その苦労と努力は並大抵のものでは無かったはず。
私は、近くで応援するしかなかった。




そして、約束通り



花園にも連れて行ってくれた。
その時は6番だったかな・・・・・・・・・・ありがとう。

大学は、私の母校に
強豪校と変身した我が母校

「直向きに」「謙虚に」

彼のラグビーを全うしていた。
中々、チャンスは巡ってはこなかった
3回生の時に、それでもファーストジャージを着るチャンスをもらえた。

定着は出来なかった。



そして、4回生。
就職活動で彼は、初めてラグビー以外で評価をしてくれたと就職先を決めた。

後、半年程で
彼のラグビー人生は一旦終わりを告げる。
それと同時に、私の応援人生にも・・・・・・・・・・・。

そんな時、某大学との定期戦にファーストジャージ、しかもレギュラー番号で出場するとのこと
正式なAチームでは無いのだが
私にとっては、とてもとてもとても嬉しい。

そして、その試合。

8番のジャージが躍動していた。

まるで、小学校の時の彼をみているがごとく。
本当にラグビーが大好きな少年が、またそこにいた。

何故か目頭が・・・・・・・。

後、半年。
彼が出場する試合は、全て応援に行く。


とても、親バカであります。
このブログ、息子が読んでなけりゃいいが。(笑)

追記:その試合のことがラグビー部HPで取り上げていただけました。
http://www.kgrfc.net/blog_detail/&blog_id=10&id=259


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これからも「よろしくお願いします。」 [日常]

何となく、肌寒さと灼熱をくりかえしつつ、ひしひしと迫ってくる「梅雨」びにおいを感じる6月初旬。
私にとってのまさしく「先生」である先輩が先に逝ってしまった。
また、この時期か・・・・・
去年も同じ時期に「恩師」を亡くした。

なんか、好きになれない季節である。


しかし、月並みな言葉でしか表現出来ないが
本当に 一方ならぬ愛情を私にくださり、いつも支えていただいた「先生」であった。

享年69才
あまりにも早い・・・・

「芳村、群れるな。」

これが口癖のようにお会いする度に言われた。
「群れたがるやつは、進歩が無い。」
「戦え、繋がれ、そして結ばれろ。」
それが、何かをなし得るための「組織」というもんや。

「孤独であることを恐れちゃいかん。」
「孤独になれるからこそ、自分を見つけることが出来る。」
「何かに付き当たったら、一人になれ。」
そしたら、人に頼るべきところを発見する。

「決して、人のケツを追いかけるな。追いかけてる内は絶対に勝つことは出来へん。」

いろんなことを

沢山


教わった。




とはいっても、ここ7年くらいはお目にかかることが出来なかった。
年賀状をやり取りするわけでなく。
ましてやメールなどは・・・・・・・・。

それでも、何となく。

いやいや、違うな。
自分の都合のいいときにだけ「先生」を思い出していた・・・・(すいません。)
何か、うまく行かない時は「先生」と酒を呑みたいと思いつつ、一人で先生の言葉を思い出したりしていた。
(もう酒を呑めなくなってしまわれていることを知っていながらなも。)

7年間、声も聞いていない。
7年間、顔も見ていない。

亡くなられた今、この7年間と何が違うのか?

声を聞くことが出来ない。
顔を見ることが出来ない。

こうも大きく、違うのか!

葬儀の後、先生がこよなく愛した麦焼酎「兼八」を
久しぶりに意識無くなるまで、呑みました。
これからも都合のいいときにだけ「先生」、思い出しますから。

これからも「よろしくお願いします。」

追伸
先生、葬儀の時。とても素敵な婦人がおいでになっていました。
最後まで一人かと思っていたのですが、
少々、ほっと致しております。








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あ〜あ、やっぱり愚痴ですかね。(笑) [日常]

本日、軽めに行政サービスについて一言。

最近、芸人さんの親の生活保護問題が取りざたされているのですが
まあ、なかなか難しい問題なのかなと思うわけですよ。

子が親の面倒を見ることを拒否するのではなく
親が子に迷惑をかけることを拒否する気持ちの方が強いってことなのかな?

じゃあ、社会に負担をかけてもいいのか?
まあ、意見もいろいろですし私自身もなんとも整理できていない訳で有ります。

他に周りを見ていると、なんで?と感じてしまうケースもあるし、
また、そこを是正するために労力を使いすぎると本来のこの制度の根源が揺るぎそうで・・・・・

どちらにしても、わたしたち一人ひとりが誰でも潜在的にもっているパワーや個性をふたたび息吹かせること(エンパワーメント力)が必要なのかなと考えるわけです。

それには、やはり公平なシステムが必要で、生活保護や他のセーフティーネット的なものや安全・安心に対しては、多分に一律平等みたいな考え方というのは理解もできるし、間接負担として税金を納めることも疑問をもつことは無いのですが、
行政サービスの分野では、民間と同様な公平なシステムにすべきなんではと。

例えば、役所に相談に行くときに
誰が行っても、
どんな相談でも、
順番の番号札を取らねばならない。

急用や特殊な相談、はたまた事前にアポイントを取っていたとしても
直接、カウンターの向こうに話しかけると
割り込んだ感がある。

例えば、こんなことでも
航空会社のようなプレミアムチェックインみたいなものを作る。
市民税をいくら以上支払っている方とか、市長表彰等を受けた方とかをその成果や功績によって公平にあつかうといったことです。

役所に書類出しに行く時に待たないといけない時があって、ついつい愚痴ぽくなるのですが。(笑)
どれだけの効果があるかは、わかりませんが。
何となく、私ですら・・・・・・・・チョイがんばろう感がでそうなんですが

それと、ついでに思うのです。
最近、どこもかしこも「まずは身を切ることから」
我々の町の行政マンも管理職になると給料が下がるなんていう逆転現象がおこっているそうです。

「まずは身を切ることから」確かに大事なことなんだろうけど

しかし、大きな地場産業も無い我がまちにとって市役所というのは嘱託等もいれれば5千人を超える規模の最大企業なわけです。
ここの給料が下がると、

まちの消費が絶対的に下がると思うんですよね。
昼ご飯を近くの食堂で食べていたけど、これからは弁当で・・・・みたいな

であれば、例えば。
市役所職員の給料に15%位を豊中市の商品券で支払うとか、市内の事業者と協力して提携昼食券を発行するとか、なんか市内の消費が高まることをやれないものなのかと。

「まずは身を切ることから」にも色々あるかと・・・・・


あ〜あ、やっぱり愚痴ですかね。(笑)

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座右の銘「すぐ酔う酒はおぼえるな。」 [日常]

昨日は、空気も空も本当に澄み切った心地よい朝であった。
こういった時は、原付バイクで仕事の移動を行い、体に思う存分自然を感じとることにしている。

でもって、10年ものの原付バイクを引っ張り出し
昼は、どこかの公園で人ウォッチングでもしながら弁当でも食べようかなどと考え
でも、何となく・・・・安全運転をこころがけ。(小心者ですから。)

ところが、昼前に
突然、風が変わった。
次に空の表情が変わり、一面が薄暗く・・・・・・・
(そう言えば、関東の方で天候が急変したと・・・・・)

あわてて事務所に舞い戻る。
その扉を開けたと同時に
外は、とてつもない嵐となった。

最近、気候なるものが本当におかしい。
何か、人間の都合で自然を利用してきてしまったツケが、一気にきているような

これだけを考えても
日本だけでなく、地球規模で過去・未来にわたり考える時であるような

それに気づきもせず(気づいているが、自分を守るためには見ぬふりを決め込んでいるのかとも・・)
そしてまた、人間の都合で自然を押さえ込もうとする。

うぬぼれもここまできたのか。

特に我が国ときたら
誰も、リーダーとしての主張、そして抵抗が無い。
今、主張し抵抗しているように見えているのは、「わかりやすい。」というだけでのものである。

善悪に対して、是か非を問われると非常にわかりやすい。(主張なのか?)
体制に対して、NOを突きつけることで人は内に秘めた不満を発散出来るので鼓舞する。(抵抗なのか?)

何故、日本には大規模なデモが無くなったので有ろうか?

目先の事柄だけで結論をだしてはいけない、特に今は。
消費税の是非を主張するのではなく・・・・・・・・・。

先日、若い子達と話すことがあった。

もちろん、酒を飲み交わしながらである。


彼らは、就活という波に揉まれている。
学生時代は、というよりほんの数ヶ月前までは
茶髪、ピアス、腰パン等々でその歳ながらの主張をし、少なくとも生きてきたはずである。
そして、それなりに大震災、普天間、原発等々にも意見があったはずである。
(俺らには、関係ない。といったことも含めて。)

ところが、主張も抵抗も無い。



このリーダー無き社会で受け入れられることを前提にものを言う。
(希望の会社に気にいられることを。)
そして、疑問を押さえ込む。


もっと、俯瞰しよう!
もっと、抵抗し主張しよう!!

俯瞰し大局から物事を考え、そして今に抵抗し主張することは、厳しい。
そして、理解してもらえるまでは時間がかかる
ましてや、失敗も多々ある。

少なくとも、自分はそうやって生きてきた。
そして、どうしようも無いときには。
酒なるものが、励まし、慰めてくれた。

「いい子」にはなれなかった。

その若者達に、我が心の師 伊集院静氏の言葉
「すぐ酔う酒はおぼえるな。」
を贈った。

歳をとれば、勝手にすぐ酔っ払いますから。(笑)
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取りあえず、私はエイジレス。 [日常]

「 福祉住 環境コーディネーター協会設立10周年記念」の講演会で講師をつとめて参りました。
福祉住環境コーディネーターの活躍でいるステージの話をしたのですが

「短い時間であったので、もう少し内容を絞れば良かったかな?」と思いつつ

いつもながら、「まあ、ええか。」
と結局、全国の仲間達と酒を飲み交わした二日間でありました。(いや〜楽しかった!!)

今週末は、島根でまたまた講演なのですが

私は、思うのです。
やはり、ひとそれぞれしゃべりの得手不得手はありますし
聞き手の好みもあります。

しかし、一生懸命に何かを伝えようとする姿勢は、しゃべる以上は最低限、持たねばならないと。
それだけは、忘れまいと。
それさえ持ち続けていれば、後は皆様、ご勝手にに評価下さい。的な感覚です。

島根でも、がんばってまいります。(自分なりに・・・)
そして今回は、6月3日が結婚記念日なので妻と二人して参ります。

さて、まったくもって話は変わるのですが

どうも最近、人様の年齢がわからなくなってきた。
多分、自分が歳を重ねていることを客観的に見ることが出来なくなっているのだろうなと分析するのです。
もともと、一番最初に自分の歳と現実のギャップを感じたのが

そう、高校野球。
画面を通してプレーをしている選手を見て、どうしても年下とは思えなかった20才前後

そして、相撲の関取の引退
おいおい、自分はまだ人生を決めかねているのに年下の貴方達が第一人生に幕を?と感じた30才前後

最後に野球選手の引退
30代後半で引退していくプロ野球選手を見つつ、ひょっとして自分の方が上?と気づいた40才前後

そして50才になった今
あらゆる年代の歳を感じることが出来なくなった。
小学生・中学生・高校生・・・・・・・・・・50才代、60才代と全くわからないのである。
ちいさな子達は、私の感覚よりも早熟であるが故に理解もできるのだが

特に、同年代がわからない。
いや、わかろうとしていないのかもしれない。

TVで同年代の人が出ているのを見ると
「まじ、俺と同い年!!」
と叫んでしまう。

まったく、自分の年齢を受容していないのである。(笑)

(その割には、「この歳になって・・・・」などとよく言ったりするのですが(笑))

「私は、今53才で・・」と講演などで話しても、最近は「見えないです。」などという声は聞こえない
学生達に、「みんなの父親より年上やん。」といっても、当たり前の反応しか返ってはこない

ようするに、人様からみる自分と自分が考える自分のギャップが大きくなってきたのである。

あま、ようするに精神的に成長していないと言われればそれまでなのです。(笑)
仕事柄、時代の流れには敏感になろうと考えているものの

息子世代に「キョンキョン? おばちゃんやん。」といわれ凹み
AKBのメンバーの顔と名前がいつまでも一致しない。
カラオケで最新の曲にチャレンジすると、ラップの時に舌がまわらない。
TVでフォークソングが流れると、ほっとして口ずさんでしまう。
「万博の頃・・・」が大阪万博として通用しない。
「きゃみーぱみゅぱみゅ」がわからない。

等々、色々と落ち込むことも有りますが・・・・


少なくとも、同窓会へ行った時には「芳村君、変わってないね〜」等と
同じく、年齢を受容していない同世代仲間達からだけでも言われるようにがんばってまいりましょう。

取りあえず、私はエイジレス。



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絶対に人前でしゃべることは嫌いです!! [日常]

明日から東京出張です。
金曜日には、福祉住環境コーディネーター協会の10周年記念事業で講演をするのですが・・・・

どうも私は、人様に勘違いをされているようで
元来、人様の前でしゃべることは大の苦手。
にもかかわらず子供の頃から、よく人前でしゃべると言うか、しゃべらせられる機会が多い訳です。

小心者の私としては、断り切れずチャレンジしてきたのですが
こればっかりは、どうも慣れない。
いつも、ドキドキの状態であるのです。

思い起こせば
幼稚園の年長の時に運動会で「開会の辞」なるものをしたのが最初で
その時は、必死になって覚えた記憶が鮮明に残っているのですが、しゃべっている時の記憶はまったくといっていいほど残ってはいないのです。


それ以来・・・・・・・・・・・・・・・・。

特に、しゃべることを考えたり、覚えたりすると
逆にあがってしまうので、まあ自分は自でそれ以上でもそれ以下でも無いと開き直って、その場で感じたり
しゃべりたいことを正直に表現してきたのですが。


もっともあせったのが
長男が幼稚園の時に父母の会の会長をおおせつかっており
毎年、最後に音楽会があるのですが
その際の挨拶・・・・・・
何も思い浮かばなかった・・・・・・・・・

実際は30秒程度であったらしいですが
自分としては、10分位は、止まっていたように感じました。

それ以来、キーワードだけは考えて人前に立つようにしている訳です。

まあ、そんなことをしている内にだんだんと、周りは人前でしゃべることが得意な人間のように写るらしく集まりの時には挨拶をとか講演依頼とかが舞い込んできてしまっている今なのです。
まあ、まえにもブログに書きましたが

「人間は、コンプレックスを克服すようと努力すれば、その部分が得意分野に変わる。」

野球選手でも、インコース低めが苦手な打者はそこばかり攻められる訳で
それを克服すると、打者として成長し
克服できなければ、成長はなし得ないのですが

しかい、克服した選手も
未だに、インコース低めは絶対に好きなコースではないはずです。

でも、インコース低めの打ち方を賞賛され
そのことについて、教えをこう人間が現れる。

まあ、私の場合はそこまでのことでは無いのですが

絶対に人前でしゃべることは嫌いです!!

人間として、「先がある」と思っている以上は、逃げずに克服できるようがんばっていこかなと思っております。

もし、このブログを読まれて
明日、私の講演を聞かれる方がいらっしゃいましたら。

芳村は、そんなことを思いながらしゃべってるのかと別の視点で楽しんでいただければと思います。(笑)
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病院の待合の風景をみて [日常]

朝起きると、肌寒い。
つい先日、気温30度を経験したような気がするが・・・・・
やれやれ、体がついて行くのが大変である。

しかし、私は人間は歳をとると風邪をひきにくくなると思っている。

学生の頃は、必ず季節の変わり目には風邪をひいていた。
元来、のどの弱い私としては一度風邪をひくと1ヶ月くらいは咳が止まらなくて苦労した記憶がある。
最初は朝おきるとのどが痛い、そしてのどがいがらっぽくなり咳がでだす。
後はおきまりのパターンで熱、鼻水と・・・・・

歳を重ねると感染を抑える体力は確実に落ちるのに風邪がひきにくくなるのはどういうことだろうか?

多分、知恵が働くのであろうと考える。
今日のように肌寒い時には、すっと上着をはおるとか、ちょっとした経験に基づいた知恵が体力の衰えをカバーし結果、ひきにくくしている。

人間の知的体力、恐るべし!!

てなことを今、国立循環器センターの駐車場で書いている。
頭の中に爆弾を抱えている私にとって、定期検診は毎回、裁判にかかっているようなものである。
悪くなっていれば、即刻、開頭手術・・・・・・

「いやや、いやや」と思いつつ、喉元すぎれば・・・・元の生活へ。

そんな中、病院の待合の風景を何気なく先ほどまで眺めていたのだが。
いやはや、いろんなドラマがありそうな・・・・・
仕事柄、病院には結構、頻繁に訪れるのだが、その時には感じなかった風景がある。

お爺ちゃんの手を引きながら、叱咤激励するお婆ちゃん。(何故か、逆は見られなかった。)
娘に手を引いてもらっている、お爺ちゃんやお婆ちゃん。
何とも、ほほえましいと書いてしまうには、表現の乏しさを感じざるを得ない風景があった。

そんな中で小学校の1〜2年生くらいの男の子とお父さんの姿があった。

とっても不安そうな男の子の表情。
その子の肩を抱き、しっかりと手を握りしめているお父さん。
父の「この子は私が守る。」言う、決意と覚悟。
そして、無言の中にも父と共にいることだけで感じる 安心感。

その中で感じる、親子を越えた男同士の絆。

多分、子供は成長していき
自分が今度は誰かを守る時がくるのだろう・・・・・

そして、その時に父は達成感と少しの寂しさを感じるのだろう・・・


そんな風景を通して、

このお爺ちゃん、お婆ちゃん、娘さん、親子

そして、私。

誰にも、明日の命は保証されていないのかとふと感じる。

であれば、今の目の前にいる人に出来る限りの愛情を注ぎたいと改めて思った。
そして、伝えたいと思った。

子供達が20才を越え
結婚生活も25年を越え

何となく、居て当たり前の生活を送っているのだが

明日、伝えるのであれば

今日、今、ここで伝えたい。

おっと、検査の時間をすぎてしまった。
あわてて、病院内に行って参ります。
きっと、明日はあるの信じて。(←大げさ!)(←こう思うことが、ダメなのですが(笑))






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「浮き雲のように呑む」 [日常]

今日の朝は、周りで金環日食の話題が花盛りであり、私自身も直接に太陽を見てしまったおかげで少々、目がおかしくなってしまっている。
金環日食自体も感動的なものであり、ついつい世間様の動きにあまのじゃく的になり斜に構えがちであった自分が、こうもワン・オブ・ゼム的に楽しみを共有出来ることになったとは、いやはや私も大人になったものだと関心しつつ、今頃かよと「ぞっと」もした一日のスタートであった。

大人になったといえば・・・・・・

最近、同じ酒を呑むなら「粋」に呑みたいと考えるようになった。

世間様では、「粋」に呑むということをどう解釈されているかはわからないのだが、
私は、「浮き雲のように呑む」と勝手に解釈しているわけである。

雨を降らすのでも無く
雪を降らすのでも無く
太陽を遮光するでも無く

目的なく空に浮かんで漂う雲で、どこへ漂うか分からない・・・・・・

ようするに、あまり意図とか意味を持たずして酒を呑む
このことがイコール「粋」に呑むことだと思い込んでいる。

今までの自分(本当に、つい最近までは、呑むことに意味や意図を必ず持っていた
・教えを請う
・愚痴を言い、うさを晴らす
・説教する
はたまた誰かを祝す 等々
である。

もちろん、そういった場面で呑む時は、それなりに呑むのだが・・・・・
それも最近、少々疲れてきました。


ふと立ち寄って
ちょいと一杯引っかけて

ましてや、女子を口説くなんてことは考えもせず
ただひたすら、酒を楽しむ。
そして、いつもあっさりと店を後にする(すいません、これ出来ていませんが・・・・・)

まあ、周りからは「粋」に見えていないかもしれませんが、自分的には取りあえず目指しているのです。
この「浮き草のように」がなんとなく出来だしてから

てっきり、酒量が増えてしまったのですが。(笑)

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