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「無理」しましょう。 [日常]

「芳村、無理すんな。」
「自然体で、自然体で。」
「お前、めっちゃM体質やな。」
「何処まで、自分を追い込むねん。」

ここ45年間ほど、よく言われてきた言葉で有る。

まあ、これはとんでもない誤解で
自分は非常にずぼら体質なものであるから、一定追い込みをかけないと動こうとしないのである。
「明日でいいことは、今日やらない。」これが、主義でもある。
しかし、追い込みがかかると
超ストイックになるために、周りからはそういったイメージで見られるのかもしれない。

まあ、理由はともかくとして

ようするに、「無理をしている。」
そんな風に移るらしい・・・・・・・・・・・・。



「無理すんな。」

でも、無理をするということが「生きる」ということなのでは無いのかと
私は思う訳で
無理の無い人生なんて、なんの意味があるのだろうか?
とも考えるわけなのです。
(無理にも、色々意味がありますが。)

また「無理」をしていない人間なんて、多分、存在しない。


「もう、無理。」そういって逃げ出したくなるほど追い詰められることは誰にでもある。
しかし、そこで逃げ出さず、何とか耐えることが大事であり、
すれば、新たなステージへとたどり着けると考えている訳です。

そこまでたいそうな事でなくても、例えば、体の調子が悪いなんてことも人間ならよくあることで、それでも人間は、休まずに動いていることも多々ある。

ただ、「無理」にも限界があることを自分なりに理解をすることが合わせて重要なことである。
(でなきゃ、つぶれてしまいますから。)
ここを知ることが、逆に大人になることなのかもしれないと、少しばかり寂しくもなる。

そういや、最近。
酒量を無理しすぎることも無くなってきたか。(←勘違いです。(笑))

しかし、最近の人達は・・・(また、こういった言い方をしてしまった。(笑))
「無理」をせず、「限界」だと言い過ぎる。

何かと「ルール」、「規則」といったものに守られ。
(もちろん、一般的なルールや規則を破れと言っているわけではありませんが。)
それをはみ出るような出来事があれば、人権を叫ぶ。

それでは、自分のキャパをやぶることは出来ないし
挑戦するといった気力も沸いてこない

だから、本当の意味での「失敗」もできやしないのではと強く感じる。


自分が自分であるために「無理」を重ねる。
人間は誰しも、そう簡単に「限界」なんてもんはこないと・・・・

と、書き殴ってみたが
やはり、所詮は自分の考え方を肯定したいだけなのかと思う。
でも、自分の考える少し上を目指して無理しないと、考えたことも出来ないのは誰もがわかっちゃいると思うのですが・・・・・・・・。
現状に満足するなということですか。

まあ、どっちにしても「しんどい人生」ですは・・・・・・


でも「しんどい人生」の方が大好きです・。


あっ、やっぱりMや!!!(笑)
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お山の大将が裸の王様になった状態。 [日常]

「自らを省みて直くんば千万人と雖も吾行かん」
吉田松陰がよく使った孟子の言葉。

本当に、そんな気持ちである。
いやいや、そう思い込もうとしているのかもしれない。

真剣に線いや、面で考え
何とか、多くの人達の夢の実現に多少なりとも貢献していきたい。
ここ10年、動いてきた。

互いに真剣に考え、そして交わす議論なら議論もしよう。
結果、自分の考えや想いと違う方向となっても、それはそれで納得も出来よう。

しかし、現場も知らず。
いや、知ろうともせず。
自分のキャパが全てだと勘違いし、自分の世界だけで物事を判断する。
そして、目の前の事柄に責任の無き発言や滑稽な発言を繰り返す。

訳の分からない権力ちゅうもんが存在している、私には理解不能の団体がバックボーンなのだから
仕方ないのかもしれないが。

お山の大将が裸の王様になった状態。


雇用関係でもあるのなら、それも我慢もしよう。
それどころか、何にも無いのよ。


「そこまで言うなら、お前がやってみろ!!」
との言葉を飲み込み。
このブログでも、内容をぼやかしつつ・・・・

それでも、やっぱり。

多くの現場の声を聞き
多くの人と触れあう

すれば
  ・
  ・
  ・
  ・
少しでも可能性があるのなら・・・・・・・と
また、お江戸へと向かう自分がいる。

「千万人と雖も」くらいの迫力があるのなら燃えもするのだが・・・・・



そらお江戸帰りは、荒れてるわな
大阪でおいでの皆さん、いつもいつも酒乱状態での帰阪、ご迷惑をおかけしております。

追伸:トップをきどるなら、挨拶くらい自分の言葉でしていただきたいものである。


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「威厳」がある人間が「受容」してくれたとき。 [日常]

受容すること「肯定したり否定したりせずに評価を加えずに、 ただそのまま受け止めること。 」


最近、親子関係で「友達的」な感じの親子を多く見かけます。
「姉妹みたいですね。」等と言われて喜んでいる様もよく見かけるが、私に言わせれば人間なんて年相応が一番なのよって感じであるが、それぞれの価値観を否定するつもりは毛頭無い。

趣味があう。
気軽に話しが出来る。

母親的には、それはそれでいいのだが
父親は「怖く無ければならない。」と思うのです。
暴力的に怖いと言うことでは無く、ようするに「威厳」の問題なのです。

私の小さな頃は、父親だけ夕飯のおかずが一品多かった。
とくに骨付きの鶏の唐揚げ(チューリップ)などは、その内の一本を貰えるだけでとてもとてもうれしかったりして、「お父さんだけ、ずるい。」なんてことにはならなかった。

怒られるようなことをしでかした時も、
「お父さんには、言わんといて。」と母親に涙ながらに願ったりもした。
父親と母親の存在すべきステージが明確であったとも言える。

そして「威厳」があるからこそ、子の最大の危機に父親としてとてつもない「愛」を表現することができ道を踏み外さずに子を導くことができるのであると思う。
我が子絶対博愛主義、モンスターペアレントなんてことは、あり得ない訳である。

「威厳」がある人間が「受容」してくれたとき。
この時に私は、本当の「愛」を感じ「信頼」が生まれる。

19才の時
本当に人には言うことの出来ない我が人生最大の事件を起こした。
私は父親に殴りあげられるだろうと覚悟していたのだが
私自身がいかに反省し、傷つき、後悔しているかを「受容」してくれ、共に解決に向かって走り回ってくれた。
年頃になった私は家にも帰らず、父親のこともうっとしく感じていたのだが・・・・・。

その父親が亡くなって10年。

私自身、この教え通り「威厳」と「受容」を考え3人の子供達に接してきた。

しかし、「受容」これが難しい。
へたすりゃ「甘やかし」になってしまう。
こうなると子はつけあがる。
後は、我が子絶対博愛主義、モンスターペアレントへと一直線。

逆に「受容」出来なければ。
いつもでも「うっとしい」親で信頼関係なんてできもしない。

まあ、それでももがいて来た訳で、
そして、来春には、その子育ても上がりである。

3人共、いろいろ有ったが
とにもかくにも、真っ直ぐには育ってくれた。(それが一番である。)
まあ良しと致しましょうか。

今度は、子離れをしようと努力している。


しかし、未だに・・・・・・・・・・口を出したくなる、色々気になる。
「肯定したり否定したりせずに評価を加えずに、 ただそのまま受け止めること。 」

出来てないか。(笑)

いやいや、こんな父親に、まずもって「威厳」があるのだろうか。(爆)

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「スキ見せる」ことの重要性 [日常]

リーダーシップには「スキを見せる」これだ大事だと。

しかし、これが難しい。

かなりの自信がなければ「スキだらけ」となってしまいリーダーシップは欠落してしまう。
若い頃は、「スキを見せないように」と必死なってもがき
リーダーたるもの完璧でなければならない。
と、何でもかんでも出来る人であるといった虚空のスーパーマンを演じていた。

これでは、たかがしれている。

自らのキャパ以上のものは成立するどころか
その域にすら達することなく
「お前らは・・・・・・。」と
結局、人のせいにしてしまう自分が多分に存在した。

そして、自滅・・・・・・・・・

何歳くらいからであろうか?
「スキ見せる」ことの重要性に気づいたのは
人間同士だからこそ通じ合うことが出来る

完璧だと思っていた先輩の
ちょっとした人間くささに出会った時、「ほっと」する自分に気づいた。
そして、とても近しい存在に思え
共に目標を達成するには、自分の力も必要であると強く認識した。

それ以来
出来るはずも無い、完璧な人間を演ずることはやめた。

「ふとした瞬間に見せる隙」
「心を許せる人にだけ見せる隙」

これが、互いの信頼関係をきづき
確たる、絆を創造する。

ただ「スキを見せる」とつけ込まれる。
こう考えがち・・・・・
もちろん見せてはいけない場面も有るわけで・・・・・
この使い分けが、まだ私には出来ないのである。

周りの人間に言わせれば
「酔っているときは、スキしかありませんよ。(笑)」

ハイはい、分かっています。

「ハイは一回。」(笑)

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あんたの提案なんか、聞きたくもありませんは!!!! [日常]

あえて書かせてもらいたい。

私達のNPO法人と高齢者の法務関連の相談を主として活動しているNPO法人とのジョイント企画で豊中市の豊中千里文化センター「コラボ」で国交省の住宅改修補助金とエンディングノートの相談会を実施することになっている。

その関連でチラシを作成して配布しているのだが・・・・

本日、その豊中千里文化センター「コラボ」の女性職員から事務局に電話があった。
「豊中市の在住の方ではないのですが、この相談会に行きたいという問い合わせなのですが大丈夫でしょうか?」
というもの
「はい、大丈夫ですよ。」
と答え、本来ならそれで終わりのはずが・・・・・・

「私共は部屋を貸しているだけですから、こういった問い合わせは困るのです。もっと、はっきりと問い合わせ先を書いてチラシを配布していただかないと困ります。」

そのちらしA4の大きさで下部に1/4位のスペースで下記の記述があるんですよ。
**相談会チラシ(20120616) PDF.jpg

久しぶりに、ちょっとキレてしまいました。
(とはいっても、大人ですから怒鳴り散らしたりはいたしておりませんが(笑))

百歩譲って、わかりにくかったとしてもですよ。
「部屋を貸しているだけですから・・・」
のくだりは本末転倒もいいとこ!!!!!!!
万に一つでも、それだけが職務のミッションなんであれば(そんなことはありえませんが。)
よけいに、借りている方はお客さんでしょ。

ましてや公務員さんは、サービス業でしょう。
もちろん施設運営も大事な仕事
そこで開催されることに関しての質問や問い合わせには、ちゃんと答えるのが仕事。
「主催では無いから詳細はわからないので、ここに問い合わせて下さい。」でもいいわけですよ。

今回なんか、一歩進んで問い合わせをしてきているのだから・・・・・
どうも、問い合わせすること自体が納得できていないので「八つ当たり」の様相を呈している。

市民の皆さんは、問い合わせ先が書いてあっても、公共的なところに聞くことの方が安心なんですよ。
そんなことも分かっちゃいないのかと・・・・

豊中千里文化センターで市民向けに必要だと思われる相談会を開催する。
当然、非営利活動ですは。

大きくくくれば、豊中千里文化センターさんの存在する意義やミッションと同じはずです。
であれば、
そこまでは無理なのかもしれませんが
「簡単な内容だけでも教えといていただければ・・・・。」程度の話があってもおかしくないと。

しかし、私的には沢山の市役所の方々と関わらせていただいていますが
本当に、そのほとんどが一生懸命やっておられる。
それが、市民や公益活動団体との直接の接点を持つ人間がこれでは・・・・・・・・。

あ〜あ、やってられない。

最後の捨て台詞が
「こうしたほうがとの、提案ですから。」

あんたの提案なんか、聞きたくもありませんは!!!!






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とても、親バカであります。 [日常]

8番のジャージが躍動していた。

3才の頃からだから、もうかれこれ19年間。
息子のラグビーを応援し続けてきた。

小学校の頃は、ズーッと8番
試合が終わると、いつも彼のジャージだけが真っ黒になっていた。

中学校の3年になって、センターになり、大阪の選抜のキャプテン。

高校時代は単身で大分に渡り
その苦労と努力は並大抵のものでは無かったはず。
私は、近くで応援するしかなかった。




そして、約束通り



花園にも連れて行ってくれた。
その時は6番だったかな・・・・・・・・・・ありがとう。

大学は、私の母校に
強豪校と変身した我が母校

「直向きに」「謙虚に」

彼のラグビーを全うしていた。
中々、チャンスは巡ってはこなかった
3回生の時に、それでもファーストジャージを着るチャンスをもらえた。

定着は出来なかった。



そして、4回生。
就職活動で彼は、初めてラグビー以外で評価をしてくれたと就職先を決めた。

後、半年程で
彼のラグビー人生は一旦終わりを告げる。
それと同時に、私の応援人生にも・・・・・・・・・・・。

そんな時、某大学との定期戦にファーストジャージ、しかもレギュラー番号で出場するとのこと
正式なAチームでは無いのだが
私にとっては、とてもとてもとても嬉しい。

そして、その試合。

8番のジャージが躍動していた。

まるで、小学校の時の彼をみているがごとく。
本当にラグビーが大好きな少年が、またそこにいた。

何故か目頭が・・・・・・・。

後、半年。
彼が出場する試合は、全て応援に行く。


とても、親バカであります。
このブログ、息子が読んでなけりゃいいが。(笑)

追記:その試合のことがラグビー部HPで取り上げていただけました。
http://www.kgrfc.net/blog_detail/&blog_id=10&id=259


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これからも「よろしくお願いします。」 [日常]

何となく、肌寒さと灼熱をくりかえしつつ、ひしひしと迫ってくる「梅雨」びにおいを感じる6月初旬。
私にとってのまさしく「先生」である先輩が先に逝ってしまった。
また、この時期か・・・・・
去年も同じ時期に「恩師」を亡くした。

なんか、好きになれない季節である。


しかし、月並みな言葉でしか表現出来ないが
本当に 一方ならぬ愛情を私にくださり、いつも支えていただいた「先生」であった。

享年69才
あまりにも早い・・・・

「芳村、群れるな。」

これが口癖のようにお会いする度に言われた。
「群れたがるやつは、進歩が無い。」
「戦え、繋がれ、そして結ばれろ。」
それが、何かをなし得るための「組織」というもんや。

「孤独であることを恐れちゃいかん。」
「孤独になれるからこそ、自分を見つけることが出来る。」
「何かに付き当たったら、一人になれ。」
そしたら、人に頼るべきところを発見する。

「決して、人のケツを追いかけるな。追いかけてる内は絶対に勝つことは出来へん。」

いろんなことを

沢山


教わった。




とはいっても、ここ7年くらいはお目にかかることが出来なかった。
年賀状をやり取りするわけでなく。
ましてやメールなどは・・・・・・・・。

それでも、何となく。

いやいや、違うな。
自分の都合のいいときにだけ「先生」を思い出していた・・・・(すいません。)
何か、うまく行かない時は「先生」と酒を呑みたいと思いつつ、一人で先生の言葉を思い出したりしていた。
(もう酒を呑めなくなってしまわれていることを知っていながらなも。)

7年間、声も聞いていない。
7年間、顔も見ていない。

亡くなられた今、この7年間と何が違うのか?

声を聞くことが出来ない。
顔を見ることが出来ない。

こうも大きく、違うのか!

葬儀の後、先生がこよなく愛した麦焼酎「兼八」を
久しぶりに意識無くなるまで、呑みました。
これからも都合のいいときにだけ「先生」、思い出しますから。

これからも「よろしくお願いします。」

追伸
先生、葬儀の時。とても素敵な婦人がおいでになっていました。
最後まで一人かと思っていたのですが、
少々、ほっと致しております。








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あ〜あ、やっぱり愚痴ですかね。(笑) [日常]

本日、軽めに行政サービスについて一言。

最近、芸人さんの親の生活保護問題が取りざたされているのですが
まあ、なかなか難しい問題なのかなと思うわけですよ。

子が親の面倒を見ることを拒否するのではなく
親が子に迷惑をかけることを拒否する気持ちの方が強いってことなのかな?

じゃあ、社会に負担をかけてもいいのか?
まあ、意見もいろいろですし私自身もなんとも整理できていない訳で有ります。

他に周りを見ていると、なんで?と感じてしまうケースもあるし、
また、そこを是正するために労力を使いすぎると本来のこの制度の根源が揺るぎそうで・・・・・

どちらにしても、わたしたち一人ひとりが誰でも潜在的にもっているパワーや個性をふたたび息吹かせること(エンパワーメント力)が必要なのかなと考えるわけです。

それには、やはり公平なシステムが必要で、生活保護や他のセーフティーネット的なものや安全・安心に対しては、多分に一律平等みたいな考え方というのは理解もできるし、間接負担として税金を納めることも疑問をもつことは無いのですが、
行政サービスの分野では、民間と同様な公平なシステムにすべきなんではと。

例えば、役所に相談に行くときに
誰が行っても、
どんな相談でも、
順番の番号札を取らねばならない。

急用や特殊な相談、はたまた事前にアポイントを取っていたとしても
直接、カウンターの向こうに話しかけると
割り込んだ感がある。

例えば、こんなことでも
航空会社のようなプレミアムチェックインみたいなものを作る。
市民税をいくら以上支払っている方とか、市長表彰等を受けた方とかをその成果や功績によって公平にあつかうといったことです。

役所に書類出しに行く時に待たないといけない時があって、ついつい愚痴ぽくなるのですが。(笑)
どれだけの効果があるかは、わかりませんが。
何となく、私ですら・・・・・・・・チョイがんばろう感がでそうなんですが

それと、ついでに思うのです。
最近、どこもかしこも「まずは身を切ることから」
我々の町の行政マンも管理職になると給料が下がるなんていう逆転現象がおこっているそうです。

「まずは身を切ることから」確かに大事なことなんだろうけど

しかし、大きな地場産業も無い我がまちにとって市役所というのは嘱託等もいれれば5千人を超える規模の最大企業なわけです。
ここの給料が下がると、

まちの消費が絶対的に下がると思うんですよね。
昼ご飯を近くの食堂で食べていたけど、これからは弁当で・・・・みたいな

であれば、例えば。
市役所職員の給料に15%位を豊中市の商品券で支払うとか、市内の事業者と協力して提携昼食券を発行するとか、なんか市内の消費が高まることをやれないものなのかと。

「まずは身を切ることから」にも色々あるかと・・・・・


あ〜あ、やっぱり愚痴ですかね。(笑)

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座右の銘「すぐ酔う酒はおぼえるな。」 [日常]

昨日は、空気も空も本当に澄み切った心地よい朝であった。
こういった時は、原付バイクで仕事の移動を行い、体に思う存分自然を感じとることにしている。

でもって、10年ものの原付バイクを引っ張り出し
昼は、どこかの公園で人ウォッチングでもしながら弁当でも食べようかなどと考え
でも、何となく・・・・安全運転をこころがけ。(小心者ですから。)

ところが、昼前に
突然、風が変わった。
次に空の表情が変わり、一面が薄暗く・・・・・・・
(そう言えば、関東の方で天候が急変したと・・・・・)

あわてて事務所に舞い戻る。
その扉を開けたと同時に
外は、とてつもない嵐となった。

最近、気候なるものが本当におかしい。
何か、人間の都合で自然を利用してきてしまったツケが、一気にきているような

これだけを考えても
日本だけでなく、地球規模で過去・未来にわたり考える時であるような

それに気づきもせず(気づいているが、自分を守るためには見ぬふりを決め込んでいるのかとも・・)
そしてまた、人間の都合で自然を押さえ込もうとする。

うぬぼれもここまできたのか。

特に我が国ときたら
誰も、リーダーとしての主張、そして抵抗が無い。
今、主張し抵抗しているように見えているのは、「わかりやすい。」というだけでのものである。

善悪に対して、是か非を問われると非常にわかりやすい。(主張なのか?)
体制に対して、NOを突きつけることで人は内に秘めた不満を発散出来るので鼓舞する。(抵抗なのか?)

何故、日本には大規模なデモが無くなったので有ろうか?

目先の事柄だけで結論をだしてはいけない、特に今は。
消費税の是非を主張するのではなく・・・・・・・・・。

先日、若い子達と話すことがあった。

もちろん、酒を飲み交わしながらである。


彼らは、就活という波に揉まれている。
学生時代は、というよりほんの数ヶ月前までは
茶髪、ピアス、腰パン等々でその歳ながらの主張をし、少なくとも生きてきたはずである。
そして、それなりに大震災、普天間、原発等々にも意見があったはずである。
(俺らには、関係ない。といったことも含めて。)

ところが、主張も抵抗も無い。



このリーダー無き社会で受け入れられることを前提にものを言う。
(希望の会社に気にいられることを。)
そして、疑問を押さえ込む。


もっと、俯瞰しよう!
もっと、抵抗し主張しよう!!

俯瞰し大局から物事を考え、そして今に抵抗し主張することは、厳しい。
そして、理解してもらえるまでは時間がかかる
ましてや、失敗も多々ある。

少なくとも、自分はそうやって生きてきた。
そして、どうしようも無いときには。
酒なるものが、励まし、慰めてくれた。

「いい子」にはなれなかった。

その若者達に、我が心の師 伊集院静氏の言葉
「すぐ酔う酒はおぼえるな。」
を贈った。

歳をとれば、勝手にすぐ酔っ払いますから。(笑)
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本当の「兄弟」に近づけるように [まつり]

「この飛行機は、着陸態勢にはいりました・・・・・・」
この機内放送の後5分程度経つと厚い雲をぬけ、眼下に東京の切子を彷彿させるようなキラキラと輝くエメラルドグリーンの海面が広がる。

その度、

「また、帰ってきた。」とぼそっといつも思う。

住宅都市として栄えてきた我がまちは、私が知っているだけでも十数年間の間、「まちのアイデンティティ」を探し続け、そして迷走してきた。
16年前に「豊中まつり」というものに関わり
その迷走の真っ直中に立つことにになった、私を含めたまつりの運営メンバーは

兄弟都市であるといったことで
そのかくなるものを沖縄市に助けを請うたのである。

沖縄文化を取り入れ、それをきっかけに豊中独自の文化を創造しようと。

もともと姉妹都市ならぬ『兄弟都市』であるのは、沖縄の「いちゃりばちょーでぇ(出会えば皆、兄弟)」という言葉に由来している。

まさしく、兄弟である。

我々の様々な申し出を全て前向きに考え、取り組んでいただけた。
今、考えれば
とんでもないことを、知らなかったとはいえ・・・・・・・・
本当に心から感謝。

今、私達は
その「兄弟」に何かを返せているのだろうかと考える。
飛行機の窓からみる景色と現実のギャップをいつも感じる。

今年、本土復帰40年である。

しかし、日本全体の米軍施設用地の74%が集中する過重な負担が続く。
米軍普天間飛行場移設問題もしかり・・・・・。

沖縄は一体、誰に返還されたのであろうか?

私のような一兵卒には、出来ることは限られている。

ただ、ただ、沖縄市を訪れ
仲間と飲み
そして、もてなしもてなされる。

そのことで、少しでも心を通わしたいと思う。
「喜び」そして「痛み」  その各々を共有出来るように少しでも近づきたい。

私は、喜びは分かち合えるが痛みや苦しみを分かち合うのは難しいと考えている。

しかし、「兄弟」なら・・・・・・・
本当の「兄弟」に近づけるように、今年もまた、沖縄へと飛ぶ。
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