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パーキンソン病の方の住宅改修の改修 [福祉住環境]

今日、久しぶりにとんでもない住環境整備事例に立ち会った。
パーキンソン病の家族の為に、マンションの寝室としている和室がたたみの仕上がりの分、廊下やリビングから一段上がっている為にその段差を解消し、転倒リスクを下げるといった内容であった。
どこの事業者がおこなったのかはあえて聞かなかったのだが、家族の方が納得出来なかったらしく、本当に自分たちが感じていることが、無茶をいっていいるのかどうかの確信が欲しくて、相談があった。
内容は下記の通り
まず、和室の畳からフローリングに変更(この時点でパーキンソン病や認知症の方の場合は検討が必要なのだが・・・・・・)する工事で、廊下側の高さとは段差が無いのだが、リビング側の床高さとでは、12mm程の段差が出来ている。
「業者の説明では、躯体の不陸が原因だからこれ以上しょうがない。」
「不陸の調整は、見積もりに入っていないので、今からやるなら別途料金で」

ある意味、工務店的指標であれば、正しいところもあるのかもしれないが。

まあ、一般的な工事でもよくあることなのだが、まず建築のプロなら畳の下地のコンクリートスラブは不理器調整していないのは当然、想定できるはず。
であれば、今回は対象者の身体状況からみて段差自身は極力0に近づけるか、出なければあえて、意識出来る程度のものを付ける必要がある。
そうなれば、当然この場合は不陸調整をプランニング段階で見ておくことが必要である。
この場合、12mmという段差は致命的である。
しかも、床材をフローリングにしているのに・・・・・・・・(無配慮)

それと、もう一つは対象者は気づいていないところであったのだが、手すりの設置位置がとんでもない。パーキンソン病の方の場合は、手すりを設置するのみ目的が色々ある。
単に、歩行支援や転倒防止だけではないと言うことである。
リズムをとるマーカーやすくんだときの目印の役割とか、体幹の旋回に利用するとか・・・・・・・

それがまったく考えられていない。

それと、私たちがこのケースで一番にこだわるのは、「安全なリーチ長さ」である。
元から姿勢異常があるし、立ち直り反応も低下している状態。
その他の状況も考えたときに「安全なリーチ長さ」は、とても重要である。
これが考慮されていない(トホホ)

その他にも逆説動作の応用、聴覚刺激・視覚刺激の考慮も無い。

それと、なんといってもパーキンソン病の方の場合は、100%転倒を避けることが出来ない前提が必要であり、転倒防止→転倒時の外傷への配慮→転倒後対策まで考えなければならないのに、やたら手すりがついているだけで・・・・なんとも。

ジストニアとジスキネアに対しての考えもまったく・・・・・。

しかし、最近のように福祉住環境という言葉が飛び交っている時代に、ここまでのことで福祉住環境もお任せ下さいとのキャッチコピーで動いている、専門職がいるとは。

丁度、疾病別の住環境整備のセミナー講師をしているタイミングだけに、必要以上に何か、腹立たしさを感じずにはおれなかった。

もちろん、只今、改修の改修プランを練っておりますが。。。。。。。。。。
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やはり「現場に行こう!!」 [福祉住環境]

いや、本当に最近ブログの更新が滞っている。
書きたい出来事が無いわけではないのだが、書き物系の仕事が多いので、ついついブログまで手が回らない。もちろん、同時にツイッターも・・・・・。

今日は、少し時間が空いたので近況報告ブログを

ここしばらくは講演やセミナー講師が多かった。
1月15日には「脳血管障害の住宅改修」、29日には「パーキンソン病の住宅改修」、その間に22日に福岡で福祉住環境コーディネーターTMの基調講演。
2月に入って、4日には全国の看護師の皆さんに向けた衛星放送中継付きのセミナーでの講師で
「自立性を上げ・維持しやすい住環境整備の考え方」というテーマで話しをさせて頂いた。
そして、今週末には「認知症の住宅改修」のセミナーで講師を務める。

そして、そして。

月末には、札幌市で「介護が必要になった親と同居する場合の家族の理解と環境づくり」
について講演する。
3月、4月も結構、週末は予定がびっしりといった感じで、書き物の仕事も結構ある。

しかし、私は根っからの現場人間、いわゆる職人で有るが故に出張や内勤、講演が続くとさすがにストレスが溜まり気味になる。

「現場に行きたい!」

行けば、行ったで、なんやかんやと大工さんがやってることをまねしたがる為に、いつも言われる。
「所長、邪魔しにきたん!」
まあ、その通りなのかもしれないけど、うちの大工さん達は優しい。
いまだに持ち続ける、施工上の疑問にも丁寧に一緒に考えてくれる。

そして、なによりも相談者や当事者と直接触れあうことが出来る。
それによって、また多くのことを学ばせて頂く。

こういった、現場の経験の中で多くをインプットしそれをまた、セミナーや講演でアウトプットする。
ようするに私は、けっして専門的な勉強をこの福祉住環境の中で行ってきたわけではない。
全てと言ってもいいぐらい、経験から学んできたものばかりである。

だから、現場に一定期間、携われない日が続くと
アウトプットも出来なくなってしまう。
それが、ストレスに繋がる。

一年で、何百人の相談者とお会いする今

常に自分のスキルを更新していかなければプロとは言えない。

頭に詰め込むスキルは、ネットや机上、講演等でまかなえるかも知れないが。
「感覚」、「心」、「勘」こういったスキルは、やはり現場経験の積み重ねでしかない。
特に、私は後者のスキルをとても大事にしている。
ましてや、ストレスをためこんでいる状態では、後者のスキルは機能しない。

自分が考えるプロとなるためには。

やはり「現場に行こう!!」



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次は「FJCマーケットの創造」 [福祉住環境]

福祉住環境ネットワーク会議の全国大会は終了した。
実に、盛況であった。
全国の仲間が集い、情報を共有し、そして来年一年の活躍を互いに誓い合い、そしてそして、飲んだ。

そして今日、すでに2011年への活動が始まっている。

私のテーマは「福祉住環境コーディネーター(FJC)マーケットの創造」

今まで、さんざん考えて動いてきた経験をもとに、どのステージにどういったマーケットを創造出来る可能性があるのかを考え、そして実践していきたい。

まずは「ニーズはあるがマーケットが存在しない。」この現実をどう捉えるかである。
FJCはフォーマルサービスでもインフォーマルサービス、行政サービスでも民間サービスでも必要とされ、そのおのおのの立場の人達が能力を身につけ、発揮する場所を探している。
ようするに違ったステージでニーズがそれぞれにあるということである。

また、その立場の人達の縦軸の価値観で評価され、そして縦軸のミッション達成の為のスキルや手法とされているところに、マーケットができないポイントがある。

例えば、インフォーマルサービスのステージでは、やはりボランテタリー的なものが重要視され、そこに民間サービスが入る余地がない。
また、行政サービスのステージで提供するとなれば、それが民間サービスとの繋がりが問題なる。
といったようなことである。

それと、もう一つの問題点は縦軸のミッション達成の為のスキルや手法の為にと考えている場合は、他のカテゴリーやましてや新たにコーディネーターというカテゴリーをなかなか認めることがないということである。
医療系の人間がこのFJCスキルを身につけた場合、やはり自らが住環境の整備に関しても自らの縦軸に納めてしまう傾向がある。
こうなれば、FJCというものは、従来の縦軸ミッション達成の為のスキルという位置づけになり、そこでマーケットを創造していくことが困難となってしまう。

といったように、正直、なし得ない理由や理屈は数多く上げることが出来るのである。

ようは、ここをどうクリアしていくかが大きなポイントとなる。

そして、その第一歩として。
FJCの差別化から始めたいと考えている。 

どういう分野が得意なFJCなのか。 
どういうスキルを持つFJCなのか。等々

ここらを、きっちりとした裏付けを持った所が情報公開をしていく。
そこを、なんのしがらみも持たない福祉住環境ネットワーク会議を母体として展開していきたい。
(まだまだ、私案の段階ではありますが)

そのことによって、何処に、どんなFJCが存在するのかを明らかにさせることでニーズの方向性をまず大まかな形でまとめていきたい。

それが、2011年のわたし自身のまず持ってのスタートである。

それを、各地域の皆さんの動きにシンクロさせることが出来れば。。。と考えている。

何となく2011年もまたまた早く終わりそうである(笑)


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さあ、全国大会です。 [福祉住環境]

明後日、京都の地で第10回福祉住環境ネットワーク会議 全国大会 が開催される。
今年は、私とものNPO法人ユニバーサルデザイン推進協会がホスト役を務める。
地元以外でホストを務めるのは初めてでもあり、メンバーもそれぞれが役割を全うすべくがんばってきた。そして、いよいよ金曜日の前夜祭から開幕である。

この「福祉住環境ネットワーク会議」なるものに私は特別な思い入れがあった。
もとはと言えば、10年前にふとしたきっかけで福祉住環境コーディネーターという検定試験が有ることを知り、内容を確認すれば、ほとんど私自身が何十年もの間やってきたこととほぼ、同じ立ち位置でのコーディネートステージでの能力を測るものであった。
正直、その当時は3級だけで内容も様々な分野をかいつまんだだけで「こんなこと、実践ではほぼ、やくにたたない」が感想であった。

しかし、これから上位級ができるということもあり、実際はどういった方向を目指しているのかを確認したく偶然にも、検定を実質運営してた東京商工会議所関連の団体の担当者とのパイプが繋がり、東京へと乗り込んでいった。

実は、「単なる検定ビジネスだけの話しならけちょんけちょんに言ってやろう」くらいの勢いでのりこんだのだが、これが担当者の想いが熱かった。
思わず、同調シンクロしてしまい、逆にとても素晴らしい話し合いが持ててしまったのである。

そして、そんな想いをもった団体が他にもいると言うことで一度、集まりましょう。との声がけがあり東京へ4つほどの団体が集結した。そこからはせいしたのがCo-Netというネットワークであった。

いわば、これが現在のネットワーク会議のはじまりであった。

そこから、もっと広げたいという思いと福祉住環境コーディネーター自体の広がりがあり札幌、四国、岩手・・・・・・ととにもかくにも多くの地域で各種団体が産声を上げ、その支援の為に本当に、全国を自腹で奔走した。
そして、できあがったネットワーク会議

「この会議体や所属していただいている団体の皆さんの支援になることであれば」

との想いを最優先して、私も私共NPOも走ってきた。

今、この会議体は成熟期から衰退期に入ろうとしている。
それは、悪いことでは無い時もある。個々が自立していくことによって、会議体としての使命が終わる場合には・・・・・・・・・・
しかし、今この会議体が置かれている位置は、そうでは無いと考えている。

それぞれが、10年前に思い描いた目標や夢。
まだ、持ててるのだろうか?
10年経てば、おかれる状況も変わる。

何かにすり替わっていないだろうか?

手段が目的になり、ながされていないだろうか?

今こそ、新たな血と血管が必要な時期である。

それによって、新たな共有課題や目的が持てる、そしてそれが活力となる。

そう意味では、この全国大会は大事な時間である。
会議で何を決めるかも重要であるが、皆が同じ時間を共有することが一番大事なのである。

さあ、集まろう10年の時を経て。
皆さん、持ってくるものは
「10年前に思い描いた夢」


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「高齢者の生活を支援する住環境設備」の講座終了 [福祉住環境]

昨日の29日(月)に和歌山県海南市の社会福祉協議会の依頼で第三回福祉講座の講師を務めに行ってきました。昼の1時30分からの開始であったので、午前中に仕事を片づけ、11時スーパーくろしお号にていちろ海南駅を目指した。
約1時間20分弱で海南駅に到着。
初めてのまちで講演するときには、早めに行って、そのまちを歩いてみる。
そうすれば、なんとなくその地域の雰囲気的なものを感じることが出来、講演の中でもアレンジが効くのである。
今回も、ぶらっと海南駅前から商店街、住宅地と歩き本当に地元といった喫茶店に入り昼食。
昼食中も回りの人の会話に耳を傾ける。
「○○○○○なんよ〜」
これは、この地域の言葉なのだろうか頻繁にその語尾が聞こえる。
そんなこんなで1時に海南市の健康センターに到着。
早速、依頼者と挨拶を交わし講演の準備に入った。
「高齢者の生活を支援する住環境設備」
これがテーマで約二時間の講演であった。

我が家のチェックシートから始まり、家庭内事故の現状と原因、つづいて住環境整備の3つのポイント
、動画を見ながらの詳細説明・・・・

プロジェクターとPCの相性が悪かったのか、映し出す映像が不鮮明で見にくいじょうたいではあったが、何とか伝え切れたと感じている。
どれだけの効果が上がるかはわからないが、まずは聞かれた皆さん。

「住み慣れたまちや住みたい地域にいつまでも、安心・安全に自分らしく暮らす」

その為の、第一歩を踏み出していただきたいと思う。
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「人にやさしくできない局面があれば、人がやさしくなれることを考える」 [福祉住環境]

怒濤の出張週間が終わった。
奈良から始まり、広島・小倉・東京・福井とこの10日間、ほとんど事務所に超しを落ち着けて仕事が出来なかった。
しかし、様々な地域を回らせて頂くのは、何かと刺激をうけて楽しいものである。
私は、どこかに行くと歩き回ることが好きであり、結構、電車やバスを使わずに徒歩で目的地に行ったりする。そうすれば、車で通れば気づかないような光景に出会える。

今回も、日頃から近いので度々訪れている奈良

改めて、近鉄奈良駅の周辺の商店街や、住宅街、少し入り組んだところにある飲食店等々をぶらりと散歩してみた。(とはいっても、夜ですが)

「あ〜あ、ここにあのテレビにでてくる餅つき屋があるんだ」
「こんな路地裏に、神木があるのか」
「この住宅街、ほとんど門扉が無い」

とかいろんな事を見ながら、楽しませて頂いた。
それと同時に、その地域で仕事をするならば、その地域をすることが大事であることは間違いない
その為に、歩くのだが

奈良は、町屋を改造してレストランにする仕事のプロデュースで行っているのだが、
もともと高齢の方が訪れることの多い街

そこに、ある奈良・古都のイメージを残したままの店は多くある
しかし、イメージを壊さないでと考えれば考えるほど、人にやさしくはなくなってしまう。

「そこを」と望まれて関わった仕事である

自分なりの結論はでている

「人にやさしくできない局面があれば、人がやさしくなれることを考える」

まあ、最終的にはここしかない。
その場面、場面で双方を歩み寄らせてしまうと、結局、まったく使えないものになる。

しかし、人がやさしくなれることを考えるには、その「まち」とそこの「人」
これを少しでも、知ることからはじめなければならない。

だから、そこでぶらっと「一人呑み」

これが大事なのである。(結局、呑みたいだけかも知れませんが(笑))


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逆に元気も沢山もらえた。 [福祉住環境]

9月になったというのに、なんだろうかこの暑さ。
ついに、日本も亜熱帯地域への道を着実に歩み始めているような気がする。
ニュースでもまだまだ、熱中症で亡くなられた人のことが流れている。
そんなことで、今までに仕事に関わらせていただいた高齢で独居の方の事が気になっていたので、ここ数日で訪問出来るところは、訪問しようと行ってきた。

当然、全てを回りきることは出来ないのだが気になる人を優先で32人に会ってきた。

結果、皆さん元気であった。(ホッ)

当然、要介護で介護保険等を利用されている方はケアマネさんも訪問されているだろうからあまり心配していなかったのだが、要支援の方は私の関わりのあった方は、ほとんどサービスを受けてないケースが多い。もちろん包括支援センターが何らかのうごきはされているのだろうけど、数の問題があるので全てをといった状態では無い。

昔と違って、近所つき合いが希薄になっている今。
せめて、自分の出来ることはと思ってはいるのだが・・・・・・・・

でも、今回は半分の人が顔をみただけで私と気づいてくれた。
話しも結構、はずんだりもした。
中には、「来年、選挙やから選挙運動か?」てな冗談も言われた。

逆に元気も沢山もらえた。

なにか、自己満足であるが今の仕事、やっててよかったなと思えた。

ちなみに、私のお腹はお茶でタプタプとなりました。(あ〜、暑い暑い)
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経験値では解らないことが一杯 [福祉住環境]

今日、障がいを持っている友達が事務所にやってきた。
脳性麻痺で昔から、てんかんの合併症がよくでていたが、非常に積極的で出来る限り、健常者と共に生きていくことを考えて生活している。
今もヘルパーさんがついているときもあるが一人の時も多く、電動車いすを巧みに操作して内の事務所にもやってくる。
しかし、まだまだ豊中のまちもバリアが多く、特に困るのは「行きはよいよい、帰りは怖い」といううように例えば、歩道も最初は段差を解消してあるのだが、途中で解消されてないために、結局、Uターンを余儀なくされることがある場合である。
まあ、そんなことをうだうだと話していたのであるが、携帯電話が出来て、本当に便利になったという会話の中で彼が
「一人の時に、携帯をかけないといけなくなったときに、必ず誰かに頼まないといけない。頼んだ人は二つのパターンで、無視する人と親切に手伝ってくれる人。」
「もちろん、手伝ってくれる人にはすごく感謝、感謝なんだけど、地元にいると後、ひとつのパターンがあるのよ。」
「それは、「もぉ、じゃまくさいな貸してみいさ、やったるから」と文句を言いながらやってくれる人、これって芳村さん、どう思います?」

「同じやるんやったら、文句いわへんかったらええのにって思うけど」と答えると。

「それが結構、私らはうれしいんですよね。対等な立場で手伝ってくれてるって思うんですよ」

そうか、そうやよな。
自分も女房からなにか頼まれたときは、一言文句を言ってしまうことってあるよな。その時「文句いわんとやってよ。」と怒られるけど。
でも、その感覚は嫌じゃない。
当然、その方がいいということではないのだけれど、健常者と障がい者との接点とあえて、分けて考えたときにそういった接点は多分、無かったな。

と改めて考えることができた。
いや〜、まだまだ経験値では解らないことが一杯である。


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正論は、相手をとことんまで苦しめてしまうことがある。 [福祉住環境]

「正論」とは、正しいと思われる論ということである。
その論の正誤の指標は道徳、倫理、政策など、公共的な要素をもつものが多い。

であれば、少数意見や個人的意見は正論ではないのだろうか?

そうではない。
もちろん法を犯すなどという極端な事例はともかくとして
正誤の指標軸をどこに置くかによって、当然に正誤の判定は変わってくるのである。

これを勘違いして、一般的な指標での正論を個別案件の中で言ってしまうことがある。
「私は、そんなことは無い。きちんと、相手の立場を考えて意見をいっている。」
と言われる人が大変に多い。(私を含めて)

この正論は、一般論に近く、相手にとって、非常に辛く、厳しいものになる。
よく言われる
「芳村さん、それがいいのは解っているんですが・・・・・・・・・」

ましてや、自分の指標で相手の立場を考えて、そして自分の指標で正論を作っているケースなどは、相手をとことんまで苦しめてしまうことがある。

ようするに、正論では問題は解決しないということを自分なりに(特に、福祉住環境の世界では)覚悟して相談にのらなければならない。というのが、私の持論である。

いかに、相手の指標を掴むのか。

これが、コミュニケーション術であると考えている。
もちろん、その指標がそれこそ一般論からいえばおかしいといった時もある。
しかし、指標を掴んでるからこそ、おかしいと気づき、相手と話しもできるのである。

要するに、相手の生き方を尊重することが、もっとも大事であり。
それには、価値観を掴む必要があると言うことである。

いや〜、まだまだ出来ていないなぁ〜

と改めて、考えさせられる。

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子どものわがままと、「生」への覚悟を決めた人間がやろうとしていること [福祉住環境]

最近、本業の話しをあまり書いていなかったのだが、決して仕事をしていなかったわけでは無い。
「ターミナル住改」の相談が最近は多い
悪性腫瘍、ALS等々の病気の為に、後の人生を自分らしく生きたい。
その為の住環境整備の相談である。

末期の方もいらっしゃるし、まだまだ元気な方もいらっしゃる。
相談のタイミングは、自らの病気を受容されたタイミングでの相談がほとんどである。

だから、伺った時には決して「死」ではなく、「生」に対しての覚悟というか、人間としてのすごさというか、そんなことを感じる時が多い。
自分が、この人の「生」に対して、どれだけの事が出来るのかを考えると、いつも無力感さえ感じてやまない。
今日、伺った相談者もそうであった。
自分の生きるべき道を可能とするために奥さん共々、真剣に現状の心身状況の中での可能性を探っておられた。その中でハードに関してのプロフェッショナルとしてのアドバイスや提案を求められた。

必死である。。。。。私が。。。。。。。。

そのプラスのオーラーをまともに受けた私自身、やる気もみなぎる。

しかし、何をはき違えているのか、他専門職。
あれはだめ、これはだめ。
あげく、「そんなわがまま言ってたら、みんなそっぽ向くよ」

子どものわがままと、「生」への覚悟を決めた人間がやろうとしていることの区別すらつかない。
医療の専門職であれば、その専門性の中からのリスクを提言するのはよくわかるが。
その専門職は「福祉」の分野である。
一般によくある福祉のことなら何でも相談にのります的、半公的機関の人間である。

あ〜あ、嘆かわしい!!!!!

確かに、一般論としては正論なのかもしれないが
対象者の覚悟の指標からは、正論は違うところにあるということ
これだけは、自分自身、忘れたくはないとつくづく思った。
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